Reclaim the Earth!

コンサルタントのブログ

大変革時代を生き抜くために

ロシアのウクライナ侵攻、米国の利上げによる円安の進行による農業資材の値上がり、長期的な気候変動が原因とされている大雨や旱魃などの頻発、長期におよぶ新型コロナウィルスへの対応と国内外の対応のギャップ、台湾をめぐる中国と米国の摩擦など、このところ社会情勢は不安定になっています。

さらに、日本は世界に先駆けて、少子高齢化、人口減少の局面を迎えています。これまでの人口増加、若い国民、経済発展といった量的発展モデルも限界となっています。今の制度や価値観はこの以前の量的発展モデルをベースにしているので、今日の状況にはフィットしなくなってきています。ここにきて、社会情勢が大きく動いているので、いよいよパラダイム・シフトが発動しそうな予感です。

本来であれば、政府がしっかりと情報収集をした上で仮説を立てて、将来へのビジョンを明確に示して、我々国民を安心させてほしいのですが、今ひとつ、将来は不透明で不安は払拭されていないように思います。

農業経営をめぐっては、農政は「みどりの食糧システム戦略」を策定し、食料や農林水産業の生産性の向上と持続可能性を両立するためにイノベーションを活用するとしています。具体的には、脱炭素や環境負荷の少ない農業の実現のためにスマート農業技術などで解決していこうとするものです。

また、「農林水産物・食品の輸出拡大実行戦略」を策定して、2025年に2兆円、2030年に5兆円を目標に日本の農林水産物や食品の輸出を促進しようとしています。

マクロ的な政策としては、長期的な気候変動や、日本の人口減少、少子高齢化などの背景を考えても「みどり戦略」も「輸出促進」も重要な政策であることは間違いありません。しかし、構想や政策が大枠すぎて、足元の農業経営として何をすべきかわかりにくいのではないでしょうか?

なぜ、農業政策は「みどり戦略」と「輸出促進」に向かっているのか、その背景を考察する必要があると思います。そして、どのような未来が到来するのは予測することが重要です。

私は、今後、農協や生産者団体などの地域としての経営戦略が問われているものと考えています。農協という枠組みで考えるだけでなく、地域の社会や経済と一体となって、その地域の価値をどう高めていくのか、その資源として農業はどのようなポジションにあるのかを議論する場が必要になると思います。

量的発展の時代は、リソースは大都市にあると考えられていましたが、これからの質的発展の時代では、地方がもつ人を惹きつける魅力にフォーカスされることになると思われます。地方は農業などの一次産業が大きな資源となる場合が多いので、チャンスはあるでしょう。

過去最大の肥料価格の値上げ

6月1日からの肥料価格が最大2倍近くになります。
原因は円安とロシアとウクライナの戦争によるところが大きいとのこと。

日本は資源や食料の多くを輸入によって賄っています。
国産の農産物も肥料や飼料などの生産資材の多くは輸入品なので、為替や世界情勢の影響を受けることは必然と言えるでしょう。
円安傾向は今後も続くと予測されていて、この先、しばらくは、肥料価格のさらなる値上げに警戒する必要があると思います。場合によっては、日本に肥料が入ってこないなんてこともあるかもしれません。

農業者にとっては、仕入れ価格が増えるわけで、販売価格が変わらなければ、資材の値上げ分だけ手取りが減ることになります。これは一大事です。

農産物は市場の動向によって販売価格の変動が大きく、価格が下がった場合には共済による補填などもあることから、資材の価格、すなわち仕入れ価格をあまり意識してこなかったかもしれません。

しかし、儲かっている農家の多くは、資材費を上手にコントロールしています。
肥料は土壌分析に基づき適正量を適時に施用するなどの工夫が多くあります。単肥をブレンドしたり、同じ肥料成分でも種類を変えて施用しています。もちろん前提となる土づくりにも余念がありません。

土壌分析はしたものの、その結果について考察していますか?
多くの農家は、土壌分析表を読むことができません。また、理想、目標とする状態が見えていないので、施肥設計ができていません。

今からでも遅くはありません。
土壌分析結果に基づく施肥設計を自ら実施し、畑のデータベースを作りましょう。

農産物の調達基準

GAPとは、適正農業規範(Good Agricultural Practices)のこと。食品の安全性、環境や労働への配慮などを強く意識した生産管理がされているかを評価したものであり、調達基準としてイギリスのスーパーが導入したものらしいです。

農水省もGAPの取得を奨励していますが、GAPもグローバルなものと日本独自なもの、地域のものなどがあります。また、厚労省は食品工場などにはHACCPなどを奨励していて、生産者としては何をどうしたものなのか戸惑うケースも多くあると思います。

日本の食品管理は世界でもトップレベルで、名前の通ったスーパーなどで買い物をする場合には、基本的に食の安全は完全に担保されていると消費者は信じきっています。ぼくは旅行をすると必ずスーパーマーケットに行きます。売られているものの観察をするのもありますが、パッキングや陳列状態などをチェックします。

日本の一般的なスーパーは、海外では高級スーパーと言われていることが多いようです。海外でも地方の地場のスーパーや市場などでは衛生管理が心配なことが多々あります。だから、消費者は売られている食品につい若干の不信感を持っていると思われ、スーパーも調達基準を示す必要があると考えているのだろうと思います。推測ですけど。

日本のスーパーやスーパーに食品をおろす仲卸業者には産地から産品を買い取る目利きのバイヤーがいます。産地に出かけ、品質はもちろん、生産環境は生産者の人柄などのチェックしています。生産者から農産物を集める農協なども、しっかりとした選果施設を持ち、時に過剰ではないかと思われるほど厳しい規格で生産管理をしています。

食の安全性はサプライチェーンで相互に監視しつつ、完全な信頼関係のもとに運営されていて、スーパーのブランドや産地の評判などを毀損しないよう最新の注意がなされています。だから消費者がスーパーで安心して商品を購入することができるのです。一方で消費者は食品の目利きができなくなったとも言えます。

GAPにしてもHACCPにしても、日本は認証を取り入れるのが大好きです。この管轄があっちこっちに散らばっているので、全部の認証を取ろうとすると、経済的労働力的なコストが膨張し、結局、肝心の生産に時間をかけれないなんて本末転倒なことが起きてしまいます。

しかしながら、産地でも生産管理をルール化し、しっかりと記帳管理することは重要で、経営効率のアップにも繋がります。特に今後、肥料や飼料、資材などが値上がりする中で、しっかりと原価管理をした経営をしなければならないのは言うまでもありません。

認証を取得することは目的ではないし、幸い、今の日本は認証がないからといって取引ができないとか、認証していたから高く取引できたといったことはあまりありません。既存の認証フォーマットを活用しながら、独自の管理方法を構築し、効率的な経営をしたいものです。

あまり意識されていませんが、農業の場合、土壌分析や肥料の調達管理などをしっかりすべきかと思います。これが生産コストにも産品の性質にも大きく影響すると思うからです。

2022年のはじめに

あけましておめでとうございます。

写真はコロナ禍直前の2020年1月にタイのバンコク郊外にある、シーラチャ・タイガー・ズーで、虎とたわむれたときのものです。今年は寅年なので。

もう10年以上前に年賀状は卒業しましたので、ここでご挨拶を申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、コロナ禍2年目となる2021年が終わり、日本列島を覆う大寒波とオミクロン株まん延の気配を感じながら2022年がやってきました。やはり2022年も「普通」とは言えない年になるでしょう。今年の幕開けから占うに、ことしは、コロナ対応というか、ウィズコロナ時代の新常識と気候変動対策に関連して、脱炭素や持続可能な社会づくりについて大きな変化が起こる年になると思います。

昨年、2021 年に緊急事態宣言やまん延防止法下で十分な活動ができなかったのは私だけではないと思います。一昨年からのコロナ禍で、これまで「普通」だと思われていたことに疑問が生まれましたね。普通とは常識であり、常識は社会の慣習が作り出すもので普遍的なものではありません。世界中で、宗教や政治、文化、習慣などに支配されて、常識は時代がつくりあげていくものだと思います。

その常識が長引くコロナ禍で変化しています。ビジネス環境でいえば、在宅勤務の定常化がそのひとつです。会社に「居る」ことが求められず、役割を担い、成果を出したかが評価されるようになり、日本の伝統的な雇用体系であるメンバーシップ型からジョブ型への移行が一層すすむ気配を感じます。新しい価値観の下では、その方が合理的だからです。また、諸外国いちはやく、というか以前からジョブ型であったにも関わらず、日本型雇用と呼ばれている終身雇用や年功序列、新卒一括採用が非合理で無駄が多く、国際的に戦えるだけの競争力を持てないことがわかったからです。世界でも類を見ない超高齢化社会の日本では、定年という概念もなくなり、自分がどこでいつまで働くかは自分で決めることになるでしょう。

戦後の高度成長を原動力となった日本型雇用が限界を迎え、新たな働き方を考える時代になったのです。いまの就活をみても、新卒で良い会社(?)に入れなければ機会損失だと思われていましたが、働く意欲と能力があれば、いつでも働けるチャンスが得られる時代になると思います。正規社員と非正規社員の格差が問題になっていますが、正規社員という前時代的な既得権を守ろうとするから、非正規が生まれるのであって、正規社員の既得権をなくせば、機会平等になると思いませんか?配偶者控除についても然り、夫が働き、妻は専業主婦として家を守るという考え方はいまはあまりありません。多様性の社会で、これはいずれ消滅すると思います。

そして、誰でもいつでも起業することを妨げない社会にするのです。そのために、安心して暮らすことができる社会保証を充実させることです。日本型雇用では雇用責任は企業が担ってきました。ここにきて企業が雇用を安定させるためのコストは相当になっています。雇用は国が責任を負うべきであり、雇用を多様化するためにも起業しやすい社会をつくるべきだと思います。

このような雇用制度をめぐる価値観の移行期には、変化についていけず、取り残される人もたくさんいると思います。とくに大きな組織にいる55歳より上の世代の人たちは、日本型雇用で採用され組織に守られながら尽くしてきたのに、定年というゴールを前に、定年が先延ばしされ、年金支給年齢も引き上げられて、これからどのような老後を過ごせば良いかと戸惑うでしょう。

雇用制度もそうですが、みんなが同じ価値観を持つべきだとされた社会から多様性を許容しようとする機運が高まりました。価値観の差し替え、つまり、いま、静かにパラダイムシフトが起こっていることに気づかなければなりません。コロナ禍で、人々が「かくあるべき」という常識に疑いを持つように緩みにさまざまな価値観が刺さり込んでいるように思います。

1億総中流社会といわれたのは、日本の人口が1億人を突破した1970年代のことです。多くの国民が、所得や社会的地位などで、周囲と同等の中位階層に属すると信じていた時代で、人口が増えて経済成長が著しかった時代です。この頃は、いま、大きな問題となっている「格差」はほとんどありませんでした。この頃の成功体験が、現代まで「社会の常識」として根付いていて、この時代は1990年代前半まで続きました。この時代を現役世代として生きた人たちが価値観の変化を受け入れるような政策が必要になると思います。

ウィズコロナ時代を生き抜くためには、新しい価値観をいち早く感じることと、それに適応することが必要なんだと強く思いながら、新年を過ごしております。

本年もひきつづきよろしくお願い申し上げます。


小さな地域に「価値」を生み出す仕事

北海道の日本海側に位置する小さな漁村で、”核のゴミ”の最終処分場の選定に向けた文献調査の賛否が争点となった町長選挙が行われ、文献調査に応募した前町長が、反対派の前町議を破って当選しました。

文献調査を受け入れると町には多額の交付金が入り、これで高齢化と過疎の町の振興を図ろうというのが再選を果たした町長の政策です。

ここでは、”核のゴミ”についてではなく、超高齢化と人口減少が加速的に進む過疎化が著しい小さな漁村のコミュニティとしての持続可能性について考えてみたいと思います。

寿都町はホッケやウニ、カキなどの漁業がさかんな町です。かつてはニシン漁でおおいに栄えたといいます。1950年頃は人口も11,000人を超えていましたが、年々、人口は減少し現在は3,000人を切り、高齢化率は39%以上と全国平均を大きく上回っています。

寿都町は典型的な一次産業を主体とする過疎の町といえるでしょう。

しかし、この寿都町、ふるさと納税などでは、いくらやたらこなどが大人気で、全国のランキングにも常に上位にいて、全国から広く注目を集めています。地域に素晴らしい産品があり、ふるさと納税という制度を利用して全国に販売し多くの寄付金を集めていても、なお、収入を必要としているのです。今回の選挙では、”核のごみ”の受け入れを検討して歳入を得ることで町の振興を図る。これを町民が選択しました。

そこに住んでいない人は、安全性が確保されていない核のゴミを処分場建設を受け入れようとするなんて。と強く批判しますが、行政サービスの継続や町としての持続可能性を考えるうえで、町民は苦渋の選択だったと思います。

寿都町に限らず、都市部とのアクセスがよくない町村は、都市部に人口が流出しており、人口減少と高齢化が進んでいます。その町で暮らし、働く人が少ないということは所得税にも期待することができません。地域に素晴らしい一次産品があったとしても、作り手、担い手がいません。

人をひきつける価値をどうやって生み出していくかが、地域存続の課題となるでしょう。

かつて北海道には多くの炭鉱があり、そこで働く人が大勢いて、町が栄えていました。しかし、国のエネルギーが石炭から石油などになることで、多くの炭鉱は閉山し、人々は去り、町は消滅しました。その「場」の価値が消失してしまったからです。

一次産業は、その地域に暮らす人だけでなく、我々、都市部の人たちの食を供給する国民が守るべき資源です。エネルギーのようにすべてを輸入に頼り、地域の価値を消失させることは、今はできないでしょう。

地方の小さな地域に「価値」を生み出すことが、いまの我々には求められています。