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コンサルタントのブログ

私が考えるコンサルティングとは

 日本では「コンサルティング」という仕事が具体的にどのような仕事をするのか明確に定義されてはいません。クライアント側はコンサルタントに何を期待しているのか、また、コンサルタントがクライアントにどのようなサービスを提供するのかについて、ギャップが生まれてしまい、結局、両者の関係が破綻することが多いようです。

 私は「コンサルティング」を生業とするこの会社を起業して16年になります。私自身も起業時はコンサルティングというものをよく理解していなかったかもしれません。ここで少し振り返ってみましょう。

 私(当社)の場合、クライアントの話を伺い、当社が何か貢献できそうであれば、まずコンサルティング契約書を締結します。このアウトプットというのはクライアントが望む結果に対して、最善、最良のアドバイスをするというものですから、何かの形にして納品するということはあまりありません。
 クライアントと会って、話をして信頼関係を構築し、必要と思われる解決策をできる限りの範囲提供するのが仕事になります。この ”できる限りの範囲” というのが、コンサルタントの仕事の力量になると思っています。その対価についても多様な評価方法があります。

 当社のWebページのトップのキャッチフレーズには「農業経営のスパーリング・パートナー」と書いています。この言葉は、デンマークのコンサルタントが言われたことをそのままいただいたのですが、クライアントと同じ方向を同じ目線で見て、クライアントの意思決定や事業運営の手助けをするという意味を込めています。

 コンサルタントというと問題解決の答えを提供してくれることを期待する人がいますが、それはコンサルタントではなく、「先生」です。定型的で普遍的な知識を与えられ、そのまま回答欄にいれても事業の意思決定はできない場合が多いし、事業運営もうまくいくとは思えません。それでクライアントの望む結果が得られないと、あのコンサルタントは能力がないとか吹聴するのです。先生になっているコンサルタントも悪いと思いますが、それはクライアントにも問題があります。そのような問題のあるクライアントの多くが経営者ではない場合が多いのです。

 クライアントの担当者は経営者や経営者に近い決裁権を持つ責任ある立場の方でなければなりません。また、経営者であってもコンサルタントから答えをもらおうとしている人は「先生」を探してください。経営者は知識や情報から総合的に経営に関する決断をするのが仕事ではないですか。

 クライアントの望む結果は、クライアントの数だけいますから、提案するアイディアや方法論なども全て異なります。守秘義務の関係があるので、具体的にどのようなアドバイスをしているかを公開することはありません。にも関わらず、コンサルタントを批判する人がいます。そのような人は答えを求めているのですね。経営者としての仕事を放棄しているのではないでしょうか?

 コンサルタントを名乗る人が世の中にはたくさんいます。ビジネスのコンサルタントは各業界ごとに、また経理や人事、営業と行った職種ごとにいろんなコンサルタントがいます。起業や投資に関するコンサルタント、退職に関するコンサルタントなど様々です。プライベートでも結婚や恋愛、離婚、介護、ダイエット、趣味に関するコンサルタントもいます。

 ニッチな分野のコンサルタントはほとんどの人は無関心ですが、そこに悩む当事者が少なからずいるはずです。人によっては、「そんなことコンサルタントに相談する必要もない。」と勝手に切り捨てるのですが、当事者にとっては深刻な問題を抱えていて自分で解決できないから、コンサルタントの知識や経験などから望むべき結果を達成するのです。

 規模の大きな会社であれば、様々な専門家を雇用して内製化することもできるでしょうが、小規模経営体であれば専門的な知識や経験を持つ人を雇用することはとても大きなコストになります。また、例え雇用したとしても、経営者と雇用されている人はスパーリングパートナーになることができるでしょうか?

 特に私がサービス領域としている農業分野に関しては、小規模経営体が多く、れまでごく限られた関係者としか仕事をしたことがない方が多いのが現実です。そこで最近では農業者が自立した経営を求めるような雰囲気もあり、何か経営に手を打たなければならないと考えている経営者が非常に多いと思います。

 JAなどの組織体も同じです。組合員の生活や経済を守るために、これまでと同じことをしていては地域そのものが地盤沈下してしまいます。長期的な視野で「あるべき姿」を論じ、そこに向かって取り組みをしなければならないという問題意識を持つことが必要だと思うのです。

 

足りない労働力はテクノロジーとナレッジで解決しよう。

先週、私も参加しているロボットトラクターによる、バンカーサイロの踏み込み車両(トラクター)の自動走行(無人車両)の公開実験が行われました。
現在、乳牛の飼料は、バンカーサイロというコンクリート製の床と両壁面を持つ施設に牧草やトウモロコシなどが積み込まれ乳酸発酵して、サイレージという飼料になります。乳牛が主食として食べる漬物のようなものです。
昔は、タワー型のサイロが主流でしたが、最近は酪農経営の規模拡大や、TMRセンター(乳牛の給食センター?)が増えてきて、大型のバンカーサイロが普及しています。大きいものだと、間口が15m、奥行75m、高さが3mほどにもなります。ここに収穫された牧草がダンプで運び込まれ、ホイールローダやバックホーなどの大型の作業機械で敷きならされます。このとき、しっかりとぎゅうぎゅう詰めに踏みつけて密度を高めないと酸素が入ってしまい、乳酸発酵せず、いわゆる”腐れサイレージ”になって、乳牛に与えられなくなってしまいます。

そこでバンカーサイロでは大型の重機のタイヤで牧草をムラなく踏みつける作業が欠かせないのですが、大型のバンカーサイロでは一度に3台ぐらいの重機が投入されます。これに加えて牧草地から牧草を運ぶ何十台ものダンプカーが必要です。牧草の収穫時期は同じ地域ならば、ほぼ同時に始まるわけで、車両のオペレータが圧倒的に足りない状況になっています。

オペレーターも高齢化が進んでいて、将来的に労働力が逼迫することは容易に想像できるのです。

そこで、プロジェクトでは、クボタの大型トラクターにサイレージパッカーを牽引させ、バンカーサイロの中を無人で走行させようと開発を進めてきました。いわば、ロボットトラクター、スマート農業のひとつと言えるでしょう。

搾乳ロボットもそうですが、テクノロジーを導入することで、生産性を損なわずに投入労働力を大幅に減らすことが可能です。もちろん、費用対効果もありますが、北海道では地域の産業の主軸が農業であることも少なくなく、地域で農業が成り立たなくなると、地域そのものが消滅することも懸念されています。
知恵をしぼって、新たな、作業のあり方を模索しなければならない時期が来ているのだと思います。

農産物や産地の論理的なブランディングができていますか?

私は土づくりなどを専門とするエンジニアです。
農産物やその加工品を生産するプロセスに関与することが多いのですが、農業もビジネスということを考えれば、その後のセールスやプロモーションまでにも関与することが多くなります。

最近では、GI(地理的表示)制度などが法制化され、農産物のブランド化の体系的な構築の方法論も充実してきました。しかし、一方で、ブランドは、マークや名称(とそれに伴うロゴタイプ)と考えている人が多くいます。

”ブランド” の語源は、”焼印”という意味で、かつて自分の家畜と他人の家畜を区別するために家畜に印をつけたことだと言われています。そういう意味では、ブランドとは”区別”を目的として、記号(印)をつけることですから、ブランド=マーク(記号)というのは間違いではありません。

しかし、最近では、ブランディングは単なる”区別”ではなく、”差別”と捉える場合がほとんです。”差別”とは、”区別”した上で、何らかの比較優位性を付加することです。

何について ”比較優位” を得るべきかは、誰にどうやって”認めてもらうか”によって異なります。色だったり、形だったり、味、香り、価格、出荷時期など、誰、つまり顧客に要望によって異なるはずです。

タイトルにある「論理的なブランディング」とは、自らの製品(農産物や産地)の比較優位性を定義して、対象となる顧客に、他の製品と明確に区別し、その内容を認めてもらい、選んでもらうことです。

ブランディングをただのマーク(記号)による区別化としている事例として、製品や産地(農場)に、かっこいい名前をつけたり、ロゴマークを開発したりする人がいます。もちろん、ネーミングやロゴマーク開発はすべきなんですが、論理的なバックグラウンドがないと、自己満足に終わってします場合がほとんです。

実際に、よく知られた有名な産品であっても、そのセールスを手がける生産者や農協等の担当者に、「この産品の特性は何ですか?」、「どんな人に買われているのですか?」という問いに答えられない場合も多くあります。そういう場合、名ばかりが先行して、中身が伴っていないんですね。

私は、生産のプロセスから関わることが多いので、産品に対する生産者の思い入れや技術的な差別性などを知っています。それらの特性をどのような表現でお客様に伝えるべきかを考える機会が多いのです。

ぜひ、「論理的なブランディング」をお考えください。

サモアで考えた農業

7月の終わりに新しい事業の先行調査のためにサモア独立国に行ってきました。
サモアは南太平洋に浮かぶ人口約20万人の島国です。日本からの直行便はなく、今回はニュージーランドのオークランドを経由して行ってきました。

外務省の資料によれば、サモアの主産業は農業と沿岸漁業と言われています。ほとんどの人が農業に従事していて、タロイモなどを栽培して”自給的”に暮らしています。また、多くの国民がニュージーランドやオーストラリアで働き、母国に送金しているそうで、国内の膨大な赤字を穴埋めしているということです。

というもの、小さな国で資源も少なく、輸出産品も少ないこの国は多くの物品を輸入に頼らざるを得ず、食料自給率はほぼ0%ということです。でも、自給的農業で一定の栄養自給力は確保しています。
どういうことでしょうか?

途上国を旅して思うのが、農業人口が多いことです。いや、業としての農業というよりは、自分たちが食べていくために農産物を生産し、余剰分をマーケットに出して貨幣や他の物品と交換しています。

先進国目線だと、農業は当然のように換金を目的の業としての経営になります。でも、これは買い手がいるから成り立つのであって、国民の多くが自給的な農業を営んでいれば、市場が成立しないので作ったものは売れません。

しかし、そんな途上国でも経済が発展していくと農業以外の産業で従事する人が増えてきます。そのような人は食べ物を購入するため、そこで初めて市場が成立します。その規模が拡大すればするほど農業は業としての営みになり、より生産性を高めるために体型的な農業に進化していくのです。
逆に言えば、自給的農業で十分だと感じているところに生産性の向上などは必要ありません。
確かにサモアでは肥料はほとんど流通していないようでした。

近年、サモアは観光業に力を入れ始めています。ハワイやグアムと似たような気候で美しい自然、観光資源があります。観光業が栄えれば、そこに従事する人も増えるし、観光客も食事にお金を使ってくれるようになり、農業の生産性を高めていかなければならなくなります。

これまで国内でほとんど生産されていなかった野菜や畜産物も生産していくことになるでしょう。そこではじめて体系的かつ、効率的な農業が求められることになります。

先進国と言われる日本に生まれ、そこでの価値観が常識化しているわれわれが、その価値観が正しいものであると信じ込んで、相手に押し付けることは、相手にとっては大きな迷惑となります。

価値観は多様であり、組織によって異なるのが当たり前です。組織も小さな家族の単位から、町内会、会社などの職場、地域、国などによって様々な価値観が存在します。多様性を許容し、柔軟に対応できるようにしなければなりません。

将来のために、今、我慢できますか?

今日、世界的に著名な公衆衛生の先生の講演を聞きました。
これまで「なんでかな〜」と思っていたことがスッと解決しました。言われてみればその通りのことなんですが、実際にはなかなか実践しないことです。

それは、「将来の利益のために、今、何かを我慢できますか?」ってことなんですが、公衆衛生的には次のような ”我慢” を今、実践すればよいそうです。

① 禁煙する
② 健康な食事をする。
③ 運動をする。
④ お酒を飲み過ぎない。
⑤ 良質な睡眠をとる。

ひとつひとつのことはなんてことはないでしょう。みんな知っていることです。
全部できていない人はむしろ少ないと思います。そのひとつひとつが既にできている人、習慣化している人であれば苦痛にも我慢にもならないし、それ実施した効果(報酬)を感じているでしょう。

でも、5つ全てを実践している人はどのぐらいいるでしょうか?

私も全て心がけてはいますが、5つ全部が完璧にできているかと問われれば、「できてます!」とは大声で言えません。

実は、この5つをしっかりと実践すれば、病気の9割は予防できるそうです。

では、なぜ、実践することができないのか?

それは、実施した時(我慢)にすぐ成果(報酬)が得られないからなんです。
例えば、今、苦しい運動をしても、あるいは、今、どうしても食べたいラーメンを我慢したとしても、直ちに痩せるわけではないし、健康診断で改善を指摘されている血糖値も血圧も下がりません。これらを数週間継続して実施して初めてちょっとだけ痩せるという成果(報酬)を得ることができます。

喫煙が有害であることをほとんどの人が知っているのに、やめれないのは、今、禁煙してもすぐに肺がんの発生リスクが減少するわけではないからです。もし、今、タバコを吸って、すぐに肺がんになって死んでしまうならば、誰もタバコを吸う人はいないでしょう。

このように、「行動選択のリスクと報酬の間に時間がある」と、なかなか実践できないそうです。

すぐに行動させようとして、脅しや悲しみというった感情に訴える手法が多く見られますが、これらはほとんど意味がないどころか、悲しみいう感情は逆に行動を阻害することになるそうです。まあ、やけっぱちになるんですね。

具体的に言えば、欧米ではタバコの害を訴えるために真っ黒になった肺の写真なんかをタバコのパッケージに印刷していますが、これは全く効果がないそうです。ずっと先の将来リスクのために、今の快楽は捨てないのですね。

運転免許更新の際に見せられる交通事故の写真や交通事故を起こした人の末路や被害にあった人の悲しみなんかも実はあまり効果がないそうです。

感情に訴えるならば、脅しや悲しみをアピールするよりも、希望や感謝の方がずっと響くんですね。何か行動を起こして家族に喜ばれることを想像したり、無限に広がる可能性が垣間見得たりすることが大事なんだそうです。

それで、この話が、私の仕事(農業コンサルティング)にどう関係しているのかというと、

「土づくり」はとっても大事なのはわかっているけれど、すぐに品質や収量があがって収入が得られるわけではないので、そのうちやります。

といやつです。

「喫煙」は体に悪いのは知っているけど、すぐに肺がんになるわけではないし、そのうちタバコやめます。

ほら、どうですか?
一緒じゃないですか!?

だから、「土づくり」の動機は、子供(もしかしたら孫)にとても感謝されているというイメージを強く持つのが良いのだと思います。すでにみなさんは「土作り」が大事なこと、将来に利益をもたらすことを知っているのですから。