
あけましておめでとうございます。
写真はコロナ禍直前の2020年1月にタイのバンコク郊外にある、シーラチャ・タイガー・ズーで、虎とたわむれたときのものです。今年は寅年なので。
もう10年以上前に年賀状は卒業しましたので、ここでご挨拶を申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、コロナ禍2年目となる2021年が終わり、日本列島を覆う大寒波とオミクロン株まん延の気配を感じながら2022年がやってきました。やはり2022年も「普通」とは言えない年になるでしょう。今年の幕開けから占うに、ことしは、コロナ対応というか、ウィズコロナ時代の新常識と気候変動対策に関連して、脱炭素や持続可能な社会づくりについて大きな変化が起こる年になると思います。
昨年、2021 年に緊急事態宣言やまん延防止法下で十分な活動ができなかったのは私だけではないと思います。一昨年からのコロナ禍で、これまで「普通」だと思われていたことに疑問が生まれましたね。普通とは常識であり、常識は社会の慣習が作り出すもので普遍的なものではありません。世界中で、宗教や政治、文化、習慣などに支配されて、常識は時代がつくりあげていくものだと思います。
その常識が長引くコロナ禍で変化しています。ビジネス環境でいえば、在宅勤務の定常化がそのひとつです。会社に「居る」ことが求められず、役割を担い、成果を出したかが評価されるようになり、日本の伝統的な雇用体系であるメンバーシップ型からジョブ型への移行が一層すすむ気配を感じます。新しい価値観の下では、その方が合理的だからです。また、諸外国いちはやく、というか以前からジョブ型であったにも関わらず、日本型雇用と呼ばれている終身雇用や年功序列、新卒一括採用が非合理で無駄が多く、国際的に戦えるだけの競争力を持てないことがわかったからです。世界でも類を見ない超高齢化社会の日本では、定年という概念もなくなり、自分がどこでいつまで働くかは自分で決めることになるでしょう。
戦後の高度成長を原動力となった日本型雇用が限界を迎え、新たな働き方を考える時代になったのです。いまの就活をみても、新卒で良い会社(?)に入れなければ機会損失だと思われていましたが、働く意欲と能力があれば、いつでも働けるチャンスが得られる時代になると思います。正規社員と非正規社員の格差が問題になっていますが、正規社員という前時代的な既得権を守ろうとするから、非正規が生まれるのであって、正規社員の既得権をなくせば、機会平等になると思いませんか?配偶者控除についても然り、夫が働き、妻は専業主婦として家を守るという考え方はいまはあまりありません。多様性の社会で、これはいずれ消滅すると思います。
そして、誰でもいつでも起業することを妨げない社会にするのです。そのために、安心して暮らすことができる社会保証を充実させることです。日本型雇用では雇用責任は企業が担ってきました。ここにきて企業が雇用を安定させるためのコストは相当になっています。雇用は国が責任を負うべきであり、雇用を多様化するためにも起業しやすい社会をつくるべきだと思います。
このような雇用制度をめぐる価値観の移行期には、変化についていけず、取り残される人もたくさんいると思います。とくに大きな組織にいる55歳より上の世代の人たちは、日本型雇用で採用され組織に守られながら尽くしてきたのに、定年というゴールを前に、定年が先延ばしされ、年金支給年齢も引き上げられて、これからどのような老後を過ごせば良いかと戸惑うでしょう。
雇用制度もそうですが、みんなが同じ価値観を持つべきだとされた社会から多様性を許容しようとする機運が高まりました。価値観の差し替え、つまり、いま、静かにパラダイムシフトが起こっていることに気づかなければなりません。コロナ禍で、人々が「かくあるべき」という常識に疑いを持つように緩みにさまざまな価値観が刺さり込んでいるように思います。
1億総中流社会といわれたのは、日本の人口が1億人を突破した1970年代のことです。多くの国民が、所得や社会的地位などで、周囲と同等の中位階層に属すると信じていた時代で、人口が増えて経済成長が著しかった時代です。この頃は、いま、大きな問題となっている「格差」はほとんどありませんでした。この頃の成功体験が、現代まで「社会の常識」として根付いていて、この時代は1990年代前半まで続きました。この時代を現役世代として生きた人たちが価値観の変化を受け入れるような政策が必要になると思います。
ウィズコロナ時代を生き抜くためには、新しい価値観をいち早く感じることと、それに適応することが必要なんだと強く思いながら、新年を過ごしております。
本年もひきつづきよろしくお願い申し上げます。