●ブログとホームページをリニューアルしました。
新年度を前に、そして創業5周年を前に当ブログとホームページをリニューアルすることにしました。
「お気に入り」や「RSSフィード」に登録していただいていた読者の方には、新しいサイトで再度のご登録をお願い申し上げます。
当面は新旧両方に同じ記事をアップしますが、近々、こちらのサイトは閉鎖するかもしれません。
手前勝手な対応で大変ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。
新しいアドレスは 下記のとおりです。

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「日本人が劣化したのは、本来、人間がやるべきことを石油にさせているのが理由である。」とは、日経エコロミーに書かれていた養老孟司さんの「エコの壁」の中の言葉です。
やはり、日本人は劣化していると思う。
人間が劣化しているんです。劣化・・・。文明がもたらした利便性は、人間に思考を停止させたばかりではなく、行動力も奪いました。偉い人が輩出されなくなり、哲学もなくなりました。
今の政治家をみれば、どうも「偉い人」ではなさそうです。日本人が劣化し、日本が漂流しているように思います。
アメリカに依存するというのは、アメリカが作り出した石油文明に依存するということで、考えてみれば、そこで日本人”らしさ”を失ったのでしょう。
いよいよ食料の値上げが本格化してきました。バイオエタノールの需要増による穀物価格の高騰と飼料価格の値上げによる食品加工業の原料高これに加えて燃料高。川上インフレ、川下デフレと言われつづけ、食品製造業は利益の出ないなかで苦しんでいました。しかし、これも限界ということで、食べ物の価格がどんどん値上げされています。
中国産餃子問題で中国産加工食品の輸入が敬遠され、割高な日本産加工食品が店頭に並ぶようになったので、なおのこと値上げ感があります。
今までの食品価格の”値ごろ感”が大幅に狂ってしまうので、家計は混乱するかもしれませんね。
この価格高騰は2年前ぐらいから予想されていました。でも、日本人の飽食はとめられず、流通の安売りが消費者のためとの観念が対策を遅らせてきました。もっと日本の消費者は知るべきだったのだと思います。それを知らせるのは流通の仕事だったのかもしれません。
輸入飼料に詳しい専門家は、飼料の高騰や食品価格の高騰を早い段階から予想していました。でも、日本人はそれに気づかない。身の回りに”値上がり”爆弾が落ち始めて、家計に影響が出てからはじめて対策をしようとするが、それでは到底間に合わない。そんなことを2年前に言ってました。
さて、自給率が40%しかないこの国はどうあるべきなのでしょうか?この国の農業にナニを期待しているのでしょうか?
中国餃子事件で日本の農業に追い風が吹いているといいますが、本当にそうでしょうか?その追い風はいつまでも続きますか?その追い風を受けれるほど大きな帆を日本農業は持っていますか?
この国の食料補償を考えるならば、もっと抜本的な農業の改革が必要だし、この国だけで国民の食を満たすのが困難なのだから、外交戦略を見直さなければなりません。米ドルが失墜した今、日本は、アジアの一員として独立しなければなりません。
消費者の利益と称して、高コストで目の前に「安心」を見せて、そのツケを先送りしてはなりません。消費者も思考停止になってはいけません。
たぶん、今が、飽食の時代の終焉だと思います。
僕は、”腐植物質”というモノにこだわって事業を行ってきました。もともと技術屋なので、科学的な根拠に基づいて客観的に腐植の持つ効果や機能をみてきました。腐植について調べれば調べるほど、何か科学では解明できないナニかがあると思っています。今日は誤解を恐れず、そんな非科学的なことを書いてみます。
そもそも腐植物質というのは、生物体由来の有機物が土壌中で微生物で分解され、再合成されたもので、化学的には「不定形の高分子有機化合物」というものです。本来、人間を含めた動物や植物などの生命体はその一生を終えると土に還ります。息絶えて土の上で死ぬと、一部は他の動物の餌になり、残りは土の微生物によって分解されていきます。分解といっても微生物の餌になるわけで、その過程で出来るアンモニアやリン酸などは植物の栄養素として植物に使われます。やがて生命体は無数の微生物に吸収されその微生物も息絶え、やがて、土の中の金属などの作用を受けて、腐植物質となって土壌中に長期間固定されます。腐植物質は微生物によって分解されにくい性質があるのです。いわば、有機物の絞りカスというか、生命体の最後の形なんです。
これが土壌に入ると、糊のように土壌粒子を接着し、いわゆる団粒構造というのを作ります。団粒構造というのは、土壌粒子がゆるく接触している状態で、粒子と粒子の間には隙間がたくさんできます。ここに水や空気を溜め込むことができるのです。だから、腐植のたくさんある土というのは、空気をふくんでフカフカで、水を保持するのでしっとりとしています。だから、植物の生育に適しているのです。空気と水があれば微生物もたくさん住むことができるし、微生物を餌とする昆虫や小動物などもやってきます。多様な生物層が構成されるのです。
つまり、われわれ生命体は最終的に土に還ると、腐植となり、次の生命を生み出す環境を土の中に作り出すのです。土の中では無数の生命体が相互に作用して存在しています。当然、動物や植物にとって、歓迎できない病原菌などもいるでしょう。でも、その病原菌も他の多くの微生物、動物の中に入ると、ワルさができないのです。これが生物多様性の良いところです。生物層が単純化してしまうと、利害関係も単純化してしまい、複雑性が失われます。複雑性の中で秩序を保ち、平衡状態を維持していたものが、その関係がくずれるとたちまちワルさをするヤツが出てきます。
考えてみたら、人間の社会と一緒です。
われわれの口にする食べ物も、身体に良いものばかりではありません。天然界では、身体に悪いものも合成されます。毒草を食べて食中毒になるというのもその一例です。普段、当たり前に食べているものでも、毒はあります。でも、適当な量を食べることと、他の多様な栄養素などの相互作用によって、人体に影響が出ないだけなんだと思います。だから、昔から好き嫌いなく、いろんなものをバランスよく食べなさいといわれているのです。
アレルギーについてもそうです。特定の食べ物で発症するアレルギーは、昔は少なかったといわれています。でも、アレルギーの原因物質、アレルゲンは昔からあったはずです。でも発症しなかった。昔は、肥料などはなく、家畜のふん尿などで堆肥をつくって畑にいれていたから腐植が豊富だったはずです。今より収穫量はなかったかもしれませんが、多様な生物層を持つ土壌中で育った野菜にはアレルギーを抑える力があったのかもしれません。
最近、アレルギーを防止するために、化学薬品を使っていない天然素材を選択する人が増えています。食べ物でも、化学農薬や化学肥料を使わない、有機栽培を求めています。おそらく、一定の効果があるのでしょう。でも、化学肥料を使わないこと以上に、生物多様性のある土壌で作物を育てることが大事なのではないでしょうか?つまり、腐植物質がたくさん含まれるということです。
有機農業には土づくりが大事といいますが、土づくりっていったい何なんでしょう?明確に答えることが出来る人がいますか?僕は腐植が豊富で生物層の豊かな土だと解釈しています。
逆説的に言えば、化学肥料を使っているかどうかが問題ではなく、増収のために化学肥料を適切に使っても化学肥料だけに頼らない、豊かな生物層を持つ土壌をつくることが大事だと思います。産業として農業を営むためには、収量が必要です。自然界では、生物は多様性にシフトします。究極の形が原始林でありジャングルです。
中学校で、植物遷移というのを習った記憶があります。裸地も長い時間をかければやがて森林になります。その気候に適したクライマックスというのがあるのです。
農業は、その遷移の過程をいったん停滞させて、一種類の作物を育てることを言うのです。停滞というのは生物層が複雑になるのを停止するということです。
自然の持つ遷移を止めようすることは、自然の摂理で多様性をつくろうとする雑草(その作物にとって)を抜くことだったり、害虫(その作物にとって害)を駆除することなのです。
今ある農地が自然のままの姿ではなく、クライマックスに向かう途中だということを忘れてはならないと思います。
今日は朝から京極町に行ってきました。写真のように雄大な蝦夷富士(羊蹄山)がくっきりと見えました。今年は豪雪地帯で有名な京極町も雪が少ないとのことです。
吉川政一さんには、越冬して熟成したジャガイモ3品種(男爵、十勝こがね、とうや)をいただきました。ジャガイモは一冬寝かせると、でんぷんが糖化してあまくなめらかになります。収穫後すぐの新ジャガも美味しいですが、春の貯蔵イモはまた違った味が楽しめます。食べるのが楽しみです。
北海道で農業コンサルタントなる仕事をしていると、よくジャガイモをいただきます。同じ品種であっても作り手によってぜんぜん味が異なります。土づくりが味に出るのでしょう。土づくりに正解はないので、その人なりの味わいを楽しむことができます。
新聞を読んでいると、”4月から紙面が変わります!”、”文字が大きく、見やすくなります。”と書いてありましたので、このブログも文字を大きくしてみました。少しは見やすくなったかな?
今、友人がブータンなる国に長期出張に行っていて、ときどきメールが来ます。なんでも通信環境が悪いらしく、ダイヤルアップで接続しているそうで、添付ファイルなどは見られないということです。
考えてみたら、日本もインターネットが爆発的に普及したのはこの10数年ぐらいで、Windows95の発売が衝撃的でした。
僕はちょうどその頃、札幌に帰ってきていて、Windows95搭載のパソコンを30万円ぐらい出して買ったように記憶しています。メモリは16メガバイト。ハードディスクは数十メガだったと思います。その頃は、ギガなんて単位は知りませんでした。当時、札幌にはインターネットのプロバイダがまだなくて、東京のプロバイダまで市外通話でダイヤルアップしていました。
考えれば、それからさかのぼること5年ぐらい前、僕が大学生の時には、8インチのフロッピーディスクを使ってました。パソコンには記録装置がなく、すべてフロッピーディスクに記録していました。
最近、5年使ったパソコンを買い換えました。買ったのはハードディスクが350ギガ、メモリは2ギガで、10万円を切っています。Window95の頃には天文学的なスペックです。
僕の仕事はIT的にはあまり進化していませんが、世の中、インターネットの普及に代表するIT技術の進化で劇的に変わりました。この変化はわれわれの暮らしにも大きな変化を及ぼしています。
ITによる便利さが言われますが、その影で大きな悲劇も生み出しています。
その悲劇のひとつが雇用がITに取って代わられたということです。IT経営により職を失った人がたくさんいると思います。消えた職業には、駅の改札係、空港のチェックインカウンターの係があります。最近、近所の生協に行ったら、セルフレジなるものが4台導入されていました。これで、近い将来、スーパーのレジ係も姿を消すかもしれません。
職業そのものがなくならなかったとしても、ITの進化は仕事は”誰でもできる”ものになりました。コンビニでは、アルバイトがその日からベテランと変わらない仕事ができます。お客さんがレジに持ってきた商品をバーコードリーダーでピと読み込めば良いだけ。それで在庫管理も発注もすべて完了します。熟練した技術なんて必要ありません。
われわれはIT革命でもたらされた効果を、便利だといって諸手を挙げて喜ぶべきなのか。憂慮しなければならない問題です。ITに仕事を奪われると、職場での人間関係も希薄になります。新人もベテランも同じになるから、ベテランは新人に指導することもないし、新人はベテランを尊敬しなくなります。
仕事をネタにした、ノミュニケーション(死語?)もなくなります。
食べ物に有機を求めるより、人間関係に有機を求める方が先じゃないかと思います。
今朝、日経新聞を開いてびっくりしたのは、農林中央金庫の見開き全面広告。JA系金融機関がここまでやるかあ!
同じ日経新聞の「ゼミナール」に連載されているのは三菱総合研究所による”次世代農業ビジネス⑥”。今朝はちょうど農業金融のことについて書かれています。一部の都市銀行が農業関連ビジネスに投資しだしたという話です。政府系金融機関の農林漁業金融公庫も都市銀行との業務協力が活発です。
農家の金融といえば、JAだけ・・・とは、いえない時代になりました。農業経営も経済の仕組みにがっちり組み込まれているのです。
カーボン・オフセットを知ってますか?
カーボン・オフセットとは、市民、企業、NPO/NGO、自治体、政府等の社会の構成員が、自らの温室効果ガスの排出量を認識し、主体的にこれを削減する努力を行うとともに、削減が困難な部分の排出量について、他の場所で実現した温室効果ガスの排出削減・吸収量等(以下「クレジット」)という)を購入すること、または、他の場所で排出削減・吸収を実現するプロジェクトや活動を実施すること等により、その排出量の全部または一部を埋め合わせることをいう。
上記の定義は、環境省が2月7日に公表した「我が国におけるカーボン・オフセット」のあり方について(指針)」に書かれています。
去年の暮れに、日本郵便がカーボンオフセット年賀状を発売したので、聞いたことがある人も多いと思います。皆さん、カーボン・オフセット年賀状を買いましたか?
オフセットというのは、「埋め合わせる」とか「打ち消す」といった意味があります。
温室効果ガスを排出することを「後ろめたい」と思うようになる社会が到来しようとしています。文化的な暮らしをするとどうしても排出してしまうのですが、これを何かの形でオフセットできるシステム、これがメニューとしていくつもあれば良いと思います。
農地土壌には腐植物質として多くの炭素を蓄積可能です。炭素排出を意識した農業スタイルがオフセット・プロバイダになれると思います。
今、着々とその準備をしています。乞うご期待ください。
「食」と「農」を考えるなんて言ってるけど、「食」と「農」があまりにも離れてしまった。ということが、さまざまな社会問題の原因のひとつだと思う。さらに言えば、生活が自然と離れすぎてしまったということ。
「食」の履歴を問うこと自体、「農」の現場と「食」の現場が離れすぎてしまったからで、中国産に限らず、われわれは毎日、口にするものの背景を考えることをしなくなった。
その割には、口に入ってから後の健康機能がどうだとか、安全がどうだとかということには関心がある。要は、われわれ現代人の思考は、口から入って体外に排出するまでしか考えなくなった。
物質的に考えると、食べ物が人間の口に入ってから体内で代謝されて排出されるまでの時間なんてせいぜい1日ぐらいのもので、食べ物のライフサイクルから見れば、一瞬の出来事である。
農学部に入ってくる学生に「芋」が土の中でできることを知らなかった子がいるそうだ。
「入って出るまで」しか関心のない人にとっては、芋がりんごのように木になろうが、土の中にあろうが関係ないといえばそれまでだ。もしかしたら、何だかわからないものを食べている可能性がきわめて高い。加工食品が普及すればするほど、原料が何かわからなくなる。
この芋のなり方を知らなかった学生は、親に芋のことを知らされていないし、芋堀り体験もしたことがなかったのだろう。
考えてみれば、これほど無防備な考え方は無いわけで、食品テロを許す温床がわが日本国では出来上がっている。それは生産者が悪いとか、流通が悪いとかいうのではなく、もっと根本的なものである。
「農」と「食」は、「健康」や「環境」とも深い関係性があるので、これらを連続的にとらえて「自然」の中にある「人間」という考え方を徹底する必要がある。
人間の生活は自然の一部であり、生活を自然に調和させなければ持続的な発展は望めない。
近所の食品スーパーの一角にある小さな本屋さんです。「食について考える」と題して、特設コーナーがありました。いつの間にか、こんなにたくさんの中国食品や加工食品の危険性を煽るような本が出版されているんですねえ。それだけ消費者の関心も高いということです。
地元のスーパーでも、これだけセンセーショナルに扱えば、消費者は危機感を感じるでしょう。そのうち、何も食べるものがなくなります。
コープさっぽろが2月27日に「CO・OP手作り餃子」事件へのコープさっぽろとしての対応についてというお知らせをホームページに掲載しました。今後、中国で生産している日本生協連コープ商品の販売は中止し、中国からの商品調達比率を半減させるとのこと。
これは新聞各紙でも報道されていました。今、全国の食品スーパーから中国製品が消えつつあります。
消費者は「中国製品=危険」というメディアからの情報で思考停止の状態に陥っているのではないでしょうか?本当に中国産食品は危険なのでしょうか?いったい、どれぐらい危険なのでしょうか?農薬が検出されたから、それはすぐに健康に害を及ぼすというわけではありません。
北海道産食品の取り扱いを増やすのは賛成です。でも、それは北海道産の農産物が中国産と比較して安全だからというわけではありません。地産地消の考え方からは賛成です。
加工食品の危険性を煽るより、加工品ばかりに頼らず、農産物を調理して食卓で味わうというライフスタイルを復活させた方が良いと思います。消費者が農産物のことを知ることができるし、手作りの料理で食卓を囲むという家族間のコミュニケーションも増えるでしょう。家庭ごとの食の文化というのも生まれると思います。
でも、忙しくてそんな時間ない?
それは問題です。ライフワークバランスを見直さなければなりませんね。