Reclaim the Earth!

大雪と情報の海を漂う

それにしても、昨日はよく降りました。

昨日のお昼で自宅近くのアメダスの積雪深が45cm。札幌市内中心部はもっと積もっているようで、ニュースでは12月にこんなに降ったのは29年ぶりだと言ってました。これから来年の4月の半ば、4〜5ヶ月間は無理やり付き合わされます。クマなら冬眠できるのに。

昨日は事務所に行って、たまった事務仕事を片付けてからスポーツクラブに行こうと思いましたが、朝からの雪かき作業による疲れとしんしんと降り積もる雪に滅入ってしまい、一日だけ冬眠を決め込みました。

来週、生産者が集まる会合で最近の農業に関する話題提供をすることになっているので、自分のために、最近、よく耳にする”キュレーション”をやっていました。そう、インターネット上にあふれる無数の情報を集めてきて、それらをつなぎあわせて、何らかの意味を持たせるというアレです。まとめサイト的な。

そもそもインターネットインターネットだけでなく、新聞やテレビの情報なんかもアテにできないし、SNSでの自己主張の強い無責任な意見なんかも、あまり信用できるものではありません。やっぱり、自分の目で見て、信頼できる人から聞いた情報に加え、自分の立ち位置をはっきりとさせたうえで考察しなければなりません。

いや、経営者だったら誰だってそうしているはずです。
さまざまな情報から総合的に判断して、その結果に対して責任を持つのが経営ですから。情報のウラはだれだってとりますよね。

新聞社にはデスクというチェック機能があって、さらに校閲なんかもあるみたいです。先日も新聞社から取材を受けたのですが、後日、記者から「校閲から御社のホームページに書かれた内容と、先日、お伺いした内容が異なるのですが、どちらが正しいのですか?」などと、本人でも確認しきれないチェックが入りました。

また、同じ事象を客観的に観察していても、立ち位置が異なれば、その評価も異なります。だから、新聞は「社説」を読めなんて言われたものです。情報を発信している人の立ち位置を考慮した上で、その情報の価値を判断しなければなりません。

人は誰でも自分の意見に賛同する人たちだけと親しくしたいと思うものです。それが集団になって感情的な一体感を生み出します。自分たちの考えに合わない人を遠ざけ、批判しようとします。自分の判断を肯定し、立場を保全することを優先することで一種の安心感を得ようとします。それでも判断しようとするならば良い方で、多くの人は思考停止になります。

最近の報道は、立ち位置というアンカーもなく、ただ浮草のように情報の海を漂っているだけのようにも思います。いったいどこに行き着くのでしょうか?

その情報を受けるわれわれも漂流するのではなく、しっかりと立ち位置を定めて受け止めたいものです。